どうもガクせんです。
いつも「ゆるっとポケット学校」を拝読いただきありがとうございます。
お陰様で、約15000PVを超える月も出てきました。
そこで今回は
- そもそも、なぜボクが先生を辞めたのか
- なぜ、ブログなどで学校の先生や子育て中の方に情報を発信するようになったのか
- 今後の展望について
以上の3つについてお話していこうと思います。
そこには、たくさんの苦しんだ経験や挑戦があり今があります。
学校の先生の方なら、共感できる体験や今もっている悩みを解決できる鍵が見つかるかもしれません。
その他の方でも、学校の先生の考えや、現状を知るきっかけになるかもしれません。
そんな思いでこの記事を書こうと決めました。
少し長くなりますが、渾身の思いを込めて書きましたのでお付き合いください。
ではまいりましょう!
目次
教員生活スタート(1〜2年目)
大学を卒業し、高校生の頃からの抱いていた「先生になる」という夢を叶えたボクは、もう絶頂の気分でいました。
夢を叶えた=ゴールした
ような感覚だったのかもしれません。
人生のゴールとも思えた、念願の先生という職業
12年後、自らの意思で辞めることになるなんて・・・。
さあ、ここから教員人生をふり返っていきます。
教員生活のスタートをきった1年目
1年目、ボクは個別支援級の担任になりました。
子ども一人ひとりに寄り添える素敵な仕事でした。
知識は少なかったものの、他の2人の先生に支えてもらいながら取り組めたことで、自分なりのペースを保ちながら仕事ができました。
その子の成長を心から願えた体験は、教育の原点を感じさせてくれました。
現実の壁にぶち当たる2年目前期
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
2年目、初のクラス担任を任されることに。
「はい今日から君は3年3組の担任です」と言われ、何十年という経験のあるベテランの先生と同じステージに1人立つことになったわけです。
もちろん、2年目なので、指導教官という相談役もいません。
つまり、当然ですが、その日から自分1人でクラスを運営していかなければならなくなったのです。
もう「?」のオンパレード!
授業をやっても、とにかく教科書どうりにやるのが精一杯・・・。
子ども同士のトラブルは次々に生まれ、対応に追われる日々・・・。
保護者からのクレームも・・・。
正直、通勤中に「今、交通事故にあえば、学校に行かなくてすむのにな」なんて考えたこともありました。
今考えても、未経験者にいきなり担任をもたせるのは横暴以外のなんでもないと思います。
担任を任された先生はもちろん、子どもたちにとってもマイナスが大きいシステムなのです。
”先生”ではなく、人として繋がれた2年目後期
そんな、精神的に病んでいた前期でしたが、子どもたちには恵まれ、徐々にいい循環が生まれてきました。
授業も少しずつ形になり、学級運営もヘタクソなりに軌道に乗ってきました。
そして、何より子どもたちと深い絆を築くことができたのが大きな成果となりました。
学年の終わりには、涙、涙のお別れとなりました。
今思えば、このように子どもたちと深い絆が築けたのは”先生”としての役割にまだ染まっておらず、1人の人間として純粋な心で子どもたちと向き合えていたからだと思います。
だんだんと”先生”になっていく(3〜6年目)
3年目〜6年目までの3年間は、「早く一人前の先生になりたい」「周りから認められたい」という思いで、がむしゃらに働きました。
研究校だったということもあり、とにかく忙しい日々・・・。
毎日3〜4時間睡眠で過ごしていました。
研究会にも進んで参加し、どこか自分の爪あとを残さなければと考えるようになりました。
「研究会で活躍する→指導主事になる→校長になる」という出世街道への道を歩まなきゃと焦っていたように思います。
そんな、日々を過ごしていく中で、だんだんと自分の中に”先生”としての自信が生まれてきていました。
しかし・・・。
そのころの自分がなろうとしていた「”先生”像」は間違った方向に向かっていたのです。
- 子どもを厳しく管理できる先生
- 子どもを思い通りに統率できる先生
- チョーク&トークでグイグイ授業をひっぱれる先生
そんな古典的な先生像を目指していたボクは、後々痛い目に合うことに・・・。
確かに、外から見たらクラスはまとまって見えるし、授業も盛り上がっていました。
ボクも「うまくいっている」と勘違いをするようになりました。
自分の価値観の転換期(7年目)
完全に調子にのっていた7年目。
ボクは、前の学年で学級崩壊をおこしていた、いわく付きの6年生を担任することに。
ボクはいつもの調子で「クラスを管理し、統率しよう」と意気揚々としていました。
子どもから”先生”になっちゃダメと教えられた7年目中盤
学級がスタートした当初は、自分の理想通りにうまく学級を統率できていました。
しかし、夏休み開けくらいでしょうか、だんだんと子どもたちの反応が気になるようになってきました。
子どもたちのボクを見る目が、まるで敵を睨みつけるような目つきに変わっていったのです・・・。
ボクの指示も素直に聞かなくなってきていました。
もちろん、そんな彼らの態度を当時のボクは許すはずもなく、さらに高圧的な態度で押さえつけようとしました・・・。
それが、ボクの思い描いていた”先生”だったからでしょう。
しかし、力で制そうとすればするほど、子どもとの距離は開いていくばかり・・・。
このままではまずいと感じたボクは、いろいろな本を読みあさりながら答えを探し始め、結果やり方を180度変えることになります。
それが、2つ目の失敗に繋がることになるなんて・・・。
極端に言えば
「管理統制」→「自由放任」
へと舵を切ったのです。
もちろん、これもうまくいきませんでした。
自由を履き違えた子どもたちはだんだんと荒れはじめ、喧嘩が頻発し、いじめもおこりました。
力で押さえてもダメ、自由を与えてもダメ
ボクはどうしていいのかわからなくなり、完全に精神を病みました。
当時のボクの身におこったことは
☑️微熱が何日も続く
☑️なかなか寝付けない
☑️毎晩のように寝汗で起きる(着替えるほどの寝汗)
☑️悪夢を見る
精密検査も受けました・・・。
何も異常は見られず、様子を見ましょうということに。
今思えば
「ガクせんが目指している”先生”は間違っているよ」
「学校はロボットをつくるところではない、人間を育てる場所なんだよ」
「周りの目なんてどうでもいいから、僕たち一人ひとりをちゃんとみれる先生になってよ!」
と子どもたちが教えてくれたのだと感じています。
本当にいい先生とは何かを探し始めた7年目終盤
暗闇の中をさまよっていたボクは、とにかく子どもとの信頼関係を取り戻すための答えを求め、さらに本を読みあさるようになりました。
そして、アドラー派のルドルフ・ドライカースの本に出会った時、その答えは見つかりました。
少しこの記事と内容が重なる部分もありますが、ここら辺のことは別記事にまとめてありますのでよければどうぞ↓
「これだ!」と確信をもてたボクは、”先生”ではなく、民主的グループリーダーになるために奮闘します。
民主的グループリーダーとは
✔︎動機づけたり勇気づけたりして、子どもたちの能力を伸ばせる先生。
✔︎子どもたちを意思決定の場に参加させることによって秩序と日課を維持できる先生。
自分なりに答えを見つけたことで、なんとか子どもたちとの関係も徐々に回復し、無事?涙の卒業式を迎えることができました。
今ふり返っても、本当に波乱万丈の7年目でした。
挑戦と苦悩(8年目〜12年目)
教育のことはもちろん、心理学、脳科学、哲学、海外の教育のことなどあらゆるジャンルを学びはじめたボクは、「子ども一人ひとりが自分らしさを発揮し、イキイキと生活できる学級経営がしたい」と思うようになり、いろいろなことを実践するようになりました。
とにかく、「自分が良いと思ったことを取り入れ、子どもの反応を見る」
この作業を繰り返し、子どもに答えを教えてもらいながら「何が良い教育なのか」を探究していきました。
自分の教育観を形にしていく挑戦の時
この「学びながら挑戦していくサイクル」がボクに活力を与えてくれました。
ボクはとにかく実践あるのみという姿勢でいろいろなことにチャレンジしていきました。
子どもたちが主体的にイキイキと生活できる教室を目指し、いろいろな実践をしてきた中でボクが効果ありと思えたものは、それぞれ記事にまとめてありますので興味のある方は読んでみてください↓
拭えない苦しみ
しかし、実践を繰り返しながらも、ボクはどこか苦しさを感じ続けてきました。
子どもと過ごす時間は好きなはずなのに、夢だった先生という仕事に就けたはずなのに・・・。
そして、教員生活10年目を過ぎた辺りから、体に変化が現れはじめました。
・憂鬱な気分が抜けない
・緊張感が強くなる
・鼓動が急に速くなる
・話していると急に息苦しくなって喋れなくなる
何かがおかしいと思いはじめ、自分の内面(自分の中の言葉)と向き合うようになりました。
メンタルに関する本も読むようになりました。
そして、なぜこの苦しみが生まれてくるのか、その答えがだんだんと見えてきました。
それは
「もう自分は”先生”ではなくなっていた」ということです。
つまり、明治から続く公教育の中で育まれてきた”先生”という役割にボクの体が拒絶反応を示すようになっていたのです。
もう少し具体的に説明すると↓
- 日々、カリキュラムに沿って授業をしていても、「本当に子どもたちは今この知識を欲しがっているのだろうか?」といちいち疑問に感じてしまう・・・。本来の学ぶ楽しみを奪っているのではないだろうかと罪悪感まで感じてしまうありさま・・・。
- 既存のルールを基に、あれをしちゃダメ、これをしちゃダメ、あれしなさい、これしなさいと注意をしている自分が嫌いになる・・・。大切な「子どもらしさ」を殺しているようでこれまた罪悪感・・・。
- 1日のスケジュールがみっちり組まれている中で、30人から40人を見ていくことに限界を感じ、本当に一人ひとりと向き合えているのか自信がもてなくなる・・・。本当は、もっと一人ひとりとたわいのない話をたくさんしたいのに・・・。自由な時間を共有しながら、1人の人間として付き合っていきたいのに・・・。
などなど、”先生”としてやらなければいけないことができない体になっていたのでした。
「自分はいったい何をしているのだろう・・・」
「自分がやりたかった教育ってなんだっけ・・・」
「自分の人生これでいいのかな・・・」
日に日にそんな思いが強くなっていたのでした。
そして・・・。
「現状のシステムの中で、できる限りのことはやった!」
という充実感と
「自分のやりたい教育を実現したい!」
という前向きな思いで”先生”を卒業することを決意しました。
環境を変え、新たなスタートへ
そして、ついにボクはかつてからの夢だった先生という職業から離れました。
正確には、今も先生と呼ばれる職業なのですが、担任の先生とはだいぶ異なり、子ども、そして保護者一人ひとりとじっくり関われる素敵な仕事をしています。
また、これからの時代を考えるとティーチングより、カウンセリングやコーチング、ファシリテーションとしてのスキルが大切だと感じ、必死に勉強しています。
教育に必要な心理学や脳科学、哲学、そして海外の教育についてもついても探究しています。
それ以外にも、今すぐ自分にできることはないかと考え、このブログを立ち上げた次第です。
少しでも、以前のボクと同じように苦しんでいる先生の力になれるよう、子育てに苦しんでいる方たちの力になれるようにブログで情報を発信しいます。
Twitterもでも毎日情報を発信しています。
「学校の先生や親が元気になる」そのことが、子どもの健全な成長において、何より大切だと思っています。
自己実現に向かって
そしてボクには、もう一つ夢があります。
それは、教育の選択肢を増やしていくということです。
いろいろな子どもがいるのだから、いろいろな教育の場が必要なのです。
そんな場所をつくっていきたいのです。
この思いを大切にしながら、これからもチャレンジしていきます。
また、同じような志をもった仲間とも、どんどんつながっていきたいとも思っています。
どうぞよろしくお願いします!
長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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こんな人におすすめ
- 子どもとの関係づくりに悩んでいる
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