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教師辞めたい!?教員からの転職経験者が語る「転職を決断した理由」まとめ

教員からの転職 転職を決断した理由まとめ

こんにちは、公立小学校から私立小学校への転職、リクルート複数社内定を経験したまっちです。

先生
先生
転職したいという気持ちはあるけど、どうも一歩踏み出せなくて・・・。
先生
先生
実際に転職をした方々はどんな理由で転職を決意したのかな?

あなたもそう感じていませんか?

しかし、実際に学校現場で働いている限り、転職経験者の声を聞ける機会はそう多くはないでしょう。

まっち
まっち
転職を止められることも多いですよね。

そうなると

みんな頑張っているのに・・・
転職したいと思っちゃうのは自分が弱いせいかな・・・
やっぱり、転職は危ないのかな・・・

と、自分の心の声にふたをして苦しんでいくことに。

そこで今回は、「教員から転職を決断した理由まとめ」と題して、実際に教員から転職を経験した総勢20人以上の方々の声をお届けします。

きっと、自分だけじゃなかったんだ!仲間がいるんだ!転職は怖くない!と思えるはずです。

それではまりましょう!

この記事を読むと
  • 転職経験者の皆さんの転職理由がわかる
  • 自分だけじゃないと思える
  • 転職に向けて一歩踏み出す勇気が湧いてくる

長時間労働・業務量の過多

世間の常識となりつつある「教員はブラック」というイメージ。

今回のインタビューを通しても、やはりそのイメージ通りの結果が見えてきました。

Gyuさん
Gyuさん
やっぱりな・・・。教員はやっぱ過酷なんやね。

では実際の声を聞いてみましょう!

私立高校に転職した秋山ヒロさんの声

秋山ヒロ
秋山ヒロ
部活動の負担が大きすぎて家庭崩壊寸前にまで陥りました。平日は部活が終わる19時から翌日の授業準備をしていました。土日も部活の練習や大会が入り、休めませんでした。遠征があれば自腹で生徒を連れて行ったことも何度もありました。大学生から直接教員になったので、当時はそれが普通だと思っていました。

非常勤を経て特別教育支援員に転職したみなじょぼさんの声

みなじょぼ
みなじょぼ
トラブル対応や夜遅くまでの保護者対応、長時間勤務などで精神的に体調をくずしました。その後、妊娠・出産しましたが、そのタイミングでうつ病になりました。育休中は精神科に通い、治療を続けました。育休後に1年休職もしましたが、体調がよくならず、退職しました。また、仕事量が増えたことも退職を決意した理由の一つです。大規模校に転勤したことで、学級の受け持ちの子どもが増えたり、未経験の部活動顧問になったり、教えたことのない教科を教えることになりました。前任校にいたときよりも、毎日2~3時間は長く学校にいないと仕事が終わらなくなってしまいました。

フリーランスに転身したとーるさんの声

とーる
とーる
ふと外に目を向ければ美しい夕焼けや自然があるのにそれを見る余裕もない・・・。「準備時間が十分にない中で我々はそれほど意味のある授業をしているの?」といったような疑問がありました。教員を離れればもっと余裕も出て「子どもたちのよさや魅力も感じられるのに」そう思いました。

放課後等デイサービスに転職したおまめさんの声

おまめ
おまめ
私の赴任先は、どの学年も単学級という小規模校で、教員も15人程しかいませんでした。そのため、初任にも関わらず主任をいくつも振り分けられていたり、校務分掌が多すぎたりして授業の準備どころではありませんでした。序盤から朝7時には学校に行き、夜8時に帰る毎日になりました。それでも放課後は事務作業などに追われ、宿題の丸つけ位しか出来なかったので、残りは家でしていました。毎日約15時間働いて、土日のどちらかは学校にいって1週間分の教材研究をしてなんとか回っている状態でした。また、初任研、研究授業、参観日の準備等を並行して行わなければならず、毎日に余裕が全くありませんでした。

IT系人材の転職支援・派遣サービスに転職したMukaiさんの声

Mukai
Mukai
長時間労働で体調が悪くなったことが原因でした。個人的な家庭の都合も重なりこれ以上教員は続けられないと思いました。

動画クリエイターに転身したみぞさんの声

みぞ
みぞ
子どもたちのためと思い、授業準備や担当の業務、クラスのことなど、毎日遅くまで働いてきました。教員ならそうあるべきだと思っていましたし、一生懸命泥臭く頑張る大人の姿を生徒に見せたいと思っていました。しかし、毎日夜遅くまで働いているうちに、自分の人生があまりにも労働で埋め尽くされていると感じました。このままでは、将来家庭を持った時に家族と過ごす時間もあまり取れないのではないかと不安になりました。

ブロガー、YouTuber、音声配信者に転身したひーこさんの声

ひーこ
ひーこ
学校の前例重視で管理的な体質、不必要に感じる業務の多さにはずっと苦しさを感じていました。教務主任としての仕事には終わりがなく、区切りもなく、本格的に心身ともに疲れを感じるようになりました。委員会への提出文書、学校評議員会での私の言動について指導が入ったり、娘の卒業式に出席したいという希望も冷たく却下されたりするなど様々なことが重なり、どんどん毎日が憂鬱になっていきました。

SNS運用、コンテンツ作成を手掛けているひっぽさんの声

ひっぽ
ひっぽ
忙しすぎて、このままでは結婚や子育てができないと感じました。同棲中の彼女も同じように小学校で先生をしていました。2人で朝早くから学校にいき、夜も遅いのが当たり前。先に家に付いたほうが、適当な晩御飯を作り、家事などを少しでも進める。自分の時間はなく、晩御飯を食べて、お風呂に入り、寝るだけの生活でした・・・。

システムエンジニアに転身したやーさんの声

やーさん
やーさん
仕事量の多さにも耐えられなかったです。絶対教員がやらなくていいというか、削減したり、外部委託できる業務があると思い続けていました。自己犠牲が過ぎると常々思っていました。本当、休息が欲しかったです。平日は18時過ぎ、休日は丸一日、部活動に費やしていました。3年目までは家に帰っても睡眠、ストレスをお酒で発散してました。

大学の事務員に転職したツキオさんの声

ツキオ
ツキオ
「圧倒的業務量からくる長時間労働」が原因で転職を決めました。私が退職をした直近の業務担当は、担任、主顧問、国語科主任、道徳科主任、学年の情報&成績処理担当、というかなり重めの内容でした。毎月の時間外労働は余裕で100時間を超えていました。小さな子どももおり、家庭と仕事の両立も難しく、体調を崩しました。

リアルな声の数々はいかがだったでしょうか。

教員であるあなたなら共感できる部分が少なからずあったことでしょう。

Gyuさん
Gyuさん
なんか聞いているだけで吐きそうやな・・・。
まっち
まっち
まだ序盤だよ。心して次も見ていこう!

職場・仕事への不満や疑問

働いていれば、職場や仕事に対して多少の不満や疑問はあると思います。

しかし、教員の世界は度がすぎるのが現状!

そんな現状がみなさんの声からきっとわかると思います。

では体験者のみなさんの声を聞いていきましょう。

国立の学校に転職したナオさんの声

ナオ
ナオ
学校をより良くしようと意見を出しても、若手だからという理由で聞き入れてもらえないことが多かったのです。年功序列の雰囲気が強いのが嫌でした。また、学習指導要領が邪魔して、自分が「これは教えたい」と思うことが教えられないことも本当辛かったです・・・。

フリーランスに転身したとーるさんの声

とーる
とーる
自分のこだわりと周りとそろえるところ、各教科内容と時数との問題、子どもたちのトラブルを無理やり収めてでも進めないといけない授業など、本当精神的に疲弊することが多かったです。心の中では「授業がそんなに大事なの?」「準備時間が十分にない中で我々はそれほど意味のある授業をしているの?」といったような疑問もありました。

放課後等デイサービスに転職したおまめさんの声

おまめ
おまめ
私の指導係の先生も含めてみんな余裕がないので、誰かに丁寧に教えてもらうという機会もなく、その場しのぎの毎日でした。仕方がないことなのですが、水泳指導や体力テストも1人でしなければいけませんでした。子どもの命がかかっていたのでとても怖かったです。

塾を立ち上げたりゅうさんの声

りゅう
りゅう
  職場に「みんな同じでなければいけない」という強い同調圧力がありました。あの頃は、毎朝家で吐いてから出勤していました・・・。

おうちフリースクールを立ち上げたわたなべさやこさんの声

わたなべさやこ
わたなべさやこ
異動した先の学校で「狂った学校環境」を目の当たりにし、「ここでは健全な教育活動は到底できない」と確信しました。異動先の職員室では、子どもたちに人としての生き方在り方を教える立場の人間とは思えぬような言動、ハラスメント行為が日々当たり前のように横行していました。

Edtechベンチャーに転職したMasatoさんの声

Masato
Masato
職員室にネガティブなセルフトークが蔓延していました。職員室に行くと「疲れた」「帰りたい」と話す先生がたくさんいて、「自分がなりたい大人」とはかけ離れている現状がそこにはありました。さらには、その場にいない教師の悪口を他の教師が言っているのを聞くこともありました。私はここにいるべきじゃないと強く思いました。

ブロガー、YouTuber、音声配信者に転身したひーこさんの声

ひーこ
ひーこ
学校の前例重視で管理的な体質にずっと苦しさを感じていました。

SNS運用、コンテンツ作成を手掛けているひっぽさんの声

ひっぽ
ひっぽ
「どんなに頑張っても給料は一定」ということに疑問を感じました。何をやっても数字的な評価をもらないところも懸念点でした。営業成績など数値として測れないこともあるため、仕方ない部分もあるかと思います。それならいっそのこと、変に評価制度などを設けない方が良いのではないかと感じていました。

Webライターに転身したまつむしさんの声

まつむし
まつむし
教育現場に「ITを活用しよう」という雰囲気がまるでなかったことが不満でした。むしろアナログな働き方の方が良いといった具合でした。また、ピリピリした教員が多かったことも嫌でした。そういった気分の上司の元で働くのはかなりストレスでした。また、先が見えすぎることも転職理由になりました。公務員という仕事の性質上、どれくらいの年齢でどれくらいの給与がもらえるかがある程度わかったりします。 僕は、それが「つまらない」と感じてしまいました。

システムエンジニアに転身したやーさんの声

やーさん
やーさん
教育界の変化できない、しない雰囲気に耐えられませんでした。子どもに限らず、教職員も足並みを必要以上にそろえて、出る杭は打たれていました。無駄な時間の使い方をする会議を減らせなかったり、新たな行事を導入できなかったりしました。変えることに対して若手が動いたとしても、何も変わらない状況に疲れてしまいました。また、明らかに仕事量が多い若手がベテランより給料が低いことにも苛立ちを感じるようになりました。

化学プラントの電気設備士に転職したももよしさんの声

ももよし
ももよし
学校にはびこる風土に疑問を感じました。長時間労働を当たり前と思っている風土。若手は校務に積極的に参加するのが当たり前という風土。何でもかんでも仕事を振って、残業してでも完成させるのが普通といった風土。いろいろ疑問を感じました。さらに、いくら頑張っても評価されないシステムにも不満を覚えました。

みなさんの怒りにも似た不満や疑問の声は凄まじかったですね。

僕も同じように思うことが多く、首がもげるほどうなづいてばかりでした。

Gyuさん
Gyuさん
ホンマ教員という世界は狂っとるな。このままじゃ優秀な先生がどんどん抜けていくで・・・。
まっち
まっち
子どもにとっても大きな損失につながるよね・・・。なんとか改善してほしいな。

さぁ次がいよいよラストのカテゴリーです。

いってみましょう!

自分の価値観や想いから

ここからは少し毛色が変わって、「個人的な人生に対する価値観や想いから行動した」という声です。

さっそく聞いていきましょう。

フリーランスに転身したとーるさんの声

とーる
とーる
働いているうちに、人生100年時代への危機感を感じるようになりました。定年の60歳から70歳まで働いたとして、100歳までの長い時間をどう生き延びるのか・・・という不安がありました。退職時に何かしら働く必要があって、「教員」だけをしてキャリアを終えた自分という個人にはいったい何ができるのだろうか・・・そんなことを考えた時にゾッとする感覚がありました。

Edtechベンチャーに転職したMasatoさんの声

Masato
Masato
教員という仕事は、自分の中にある「好きな人と好きな場所で生きる」という人生のビッグゴールに向かわないと感じました。たとえ気の合う仲間と学年を組めても、ずっと一緒に働けるわけではありません。一年毎に担当学年が変わったり、異動があったりします。このままずっと先生を続けていても自分の人生のゴールは達成できないなと感じるようになりました。

ICT支援員を経て講師に転職したMM-Teacherさんの声

MM-Teacher
MM-Teacher
学校現場にICT機器が導入されても思うように活用できていない実態が多いことを痛感し、自分の得意とするICT分野で、学校現場をサポートしたいと思うようになりました。

私立の幼稚園の管理職に転身したふわくんの声

ふわくん
ふわくん
家業の幼稚園を継ごうと思いました。以前から教員を続けるのか家業を継ぐのかで悩んでいました。そんな時に、低学年を担任したことで幼稚園の重要性を感じ、家業を継ぐと決めました。

営業職に転職したむう助さんの声

むう助
むう助
自分の力が、外の世界でどれだけ通用するか試したくなりました。小中高大、そして教員と、今まで自分が歩んできた人生をふり返ると、自分の知る世界が「学校」しかないことに気が付いてしまったのです。そして、「もし外の世界に出たら、自分の力はどれだけ通用するのだろうか」と思うようになりました。「チャレンジしてみたい!」と思うようになりました。

転職エージェントに転職したたかださんの声

たかだ
たかだ
先生になる前から「先生だけで人生が終わるのは嫌だ」と思っていました。先生の仕事は激務だという認識はあったので、一番体力のある新卒の状態で先生になり、「先生として仕事ができる」「いつでも戻ることができる」状態をつくろうと思っていました。その状態をつくれたら、今度は転職のハードルが低い若いうちに転職をして、その後のキャリアは一般企業での経験を踏まえながら考えていこうと決めていました。

動画クリエイターに転身したみぞさんの声

みぞ
みぞ
動画制作の仕事をしたいと思うようになりました。たまたま、教員時代に行事や生徒たちの頑張りを動画にする機会があり、動画を撮影したり、コツコツ編集したりすることに楽しみを感じました。それから、「好きなことを仕事にしたい」と強く思うようになりました。

フリーランスエンジニアに転身したnaoさんの声

nao
nao
何をしていても決まった給料が一定額増えていくことに危機感を覚えました。工夫しなくても、頑張らなくても給料は変わらないので、思考停止状態になってしまうのではないかと思うようになりました。

ブロガー、YouTuber、音声配信者に転身したひーこさんの声

ひーこ
ひーこ
50歳という年齢もあり、「人生後半は自分らしく生きたい」と考えるようになり、退職を決意しました。

外資系IT企業に転職したハンドさんの声

ハンド
ハンド
自分の知見を広く他の学校に提供したい!と思い転職を考えるようになりました。私は、前任校でICT環境を整備することで、授業・働き方など様々なことを根本から変えていく活動をしていました。すると、実際に学校が見違えるように変化し、毎日本当に楽しい時間を過ごしていました。しかし、快適になった後に他の学校に視察に行ったところ、全てが自校の改革前と同じ様相の職員室の風景を見ました。その時から謎の使命感に目覚め「自分の知見を他の学校にも活かした方がいいのでは」と転職を考えるようになりました。

システムエンジニアに転身したやーさんの声

やーさん
やーさん
シンプルに「民間で働くことを経験してみたかった」という思いと「現状維持の仕事を打破したかった、挑戦したかった」という思いがありました。子どもには「挑戦しよう。できないことに挑戦して、失敗しよう」とよく伝えていました。そんなとき、ふと自分がしていないことに焦りを感じました。

経験者のみなさんの声からもわかるように、「自分の中にある価値観や強い想い」は、ガソリンのごとく行動の源になります。

もし、自分の中に少しでも「このままじゃダメだ!」「こうしていきたい!」という想いがあるのでしたら絶対に絶対に行動した方がいいと思います。

もちろん、転職にはメリット、デメリットありますが、転職経験者のみなさんの声を聞いていてわかったのが、誰一人として転職を後悔している人がいない!ということでした。

教員から転職してよかったこと(メリット)トップ3!転職体験者の声まとめ

Gyuさん
Gyuさん
この事実にはホンマ驚きやな!
まっち
まっち
正直、例え後悔したとしても教員不足に悩まされている学校現場にはすぐに戻れるしね。僕も一度はチャレンジした方がいいと思います。

まとめ

以上、教員から転職を決めた理由についてたくさんの声をみてきましたがいかがだったでしょうか。

まとめると

まとめ
  • 長時間労働、業務量の過多、仕事への不満や疑問、自分の想い等で転職を決めた方が多い。
  • みんな同じように悩み、転職へと踏み切っている。
  • 現状を変えるためには行動しかない。

「行動した後悔よりも、行動しない後悔の方が大きい」とはよく言いますが、本当に真実だと思います。

死ぬ前に人生を振り返った時、自分の人生に悔いなし!と自信をもっていえる選択をしていきましょう!

皆さんの体験談をもっと詳しく知りたい方は、一人ひとりのインタビュー記事を覗いていってくださいね。

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まっち
まっち
僕もあなたを応援しています!以上、まっちでした。
Gyuさん
Gyuさん
インタビューに答えてくれたみんな!ホンマありがとうな。またねー。

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