どうもガクせんです。
という方向けに、12年間小学校の教員を経験してきたボクが、「小学校の先生」という職業のデメリットについて解説していきたいと思います。
正直、この記事を書くかどうかとても悩みました。
しかし、やはり「先生を辞めた身だからこそ書かなきゃいけない!」という使命感がボクの中で勝りました。
そのボクが感じた使命とは↓
という3つです。
- 「小学校の先生」という仕事のデメリットがわかる
- 小学校現場の現状がわかる
それではまいりましょう!
目次
はじめに
それでは、小学校の先生のリアルなデメリットについてこれから解説していきます。
その前に、注意点として以下の2つの点をご理解いただいてからお読みください。
- 小学校の先生を辞めた人間が書いているので他の先生に比べて感じているデメリットが大きい可能性があるということ。
- ボクの実体験や私見が中心であるということ。(自治体やそれぞれの学校によって実態は異なる場合があります。)
ボクが感じた先生という仕事のデメリット
今回、ボクがこれからお話しするデメリットは主に以下の3点です。
詳しく解説していきます。
多忙な労働環境(先生は忙しい?)
よく先生は忙しいと言われますが、実際どうなのかというと
めちゃくちゃ忙しい!
です。
研究校にいたときには、夜中まで仕事をし、早朝に出勤することなんて当たり前でした・・・。
2校目に異動してからは、比較的落ち着きましたが、やはり「忙しかった」と言えるでしょう。
先生の仕事について詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓
ただ、見出しに「忙しい?」と「?」を付けたのは、中には忙しくない先生もいるのが現実だからです。
では、忙しい先生と忙しくない先生が出てきてしまうのはナゼなのか、その理由は以下の通りです↓
簡単に言えば、頑張れば際限なく仕事はあるし、手を抜こうと思えば手をぬけてしまうということです。
ボクの体感だと、同じ先生という仕事でも、頑張る人とそうでない人との間には3、4倍仕事量に差が生まれている感じがしていました。
さらに言えば、年齢が上という理由で、3、4分の1しか働いていない先生の方が、一生懸命働いている先生より給料が遥かに上ということも当たり前の世界でした。
なので、人によっては「めちゃくちゃ楽な仕事」と感じている先生もいるのが現実です。
成長を阻害する制度や職場環境
上記の多忙感にもつながりますが、ここからは教員の制度や職場環境について詳しく解説します。
ボクは、この教員の制度や職場環境そのものが「教員の成長」「教育の成長」を大きく詐害していると感じていました。
年功序列制度
まずは、年功序列制度です。先ほどもお話ししましたが、仕事をしてもしなくても給料は変わりません。
ボクも実際に、学年主任、安全主任、教科主任などなどいろいろな役職を任されましたがどの役職にも1円も対価はありませんでした。
もちろん、対価のために仕事をしている訳ではありませんが、人間という生き物はやはり対価がないとなかなかモチベーションが上がらないというのも事実です。
なので、例え何かの役職を任されたとしても、「別に一生懸命頑張っても忙しくなるだけだし・・・」となり結局は「多少不便でも変革するのは大変だからやめておこう」「例年通りでいきましょう」という流れが生まれます。
毎年人間が入れ替わる制度
これはメリットでもありますが、今回は負の側面を見ていきます。
公立の学校では、毎年異動者がたくさんでます。また、先ほどお話しした役職も毎年変わっていきます。
なので、「来年は違う人が担当するかもしれないしな」という気持ちがどこかにあり、責任感が生まれにくくなります。
結局は、「学校を変えよう」とか「この役職の仕事のやり方をアップデートさせていこう」などという長期的なスパンで考えなくてはいけないような改革は起こらないのです。
同調圧力が強い環境
公教育という特性や学級担任制という性質上、何か特異なことをすると、すぐに管理職や同僚に突かれます。
というような声がすぐに上がります。
さらには、ボクのような特異なことをする人を出さない為に、様々なことがマニュアル化されている学校も多くあります。
もちろん、上記したような学校の性質を考えると「そろえていこうよ」という声が出るのは理解できます。
しかし、その声がいきすぎて、いつまでも保守的に同じことを繰り返していたり、やらない人に合わせていては良い教育実践は生まれないのも事実です。
もっと、「新しいことにどんどんチャレンジしていこうよ」という風潮が生まれ、チャレンジした人が評価されるような組織になるといいなと感じていました。
学級崩壊を恐れすぎる文化
保守的という話をしましたが、その根底にあるのは「学級崩壊」への恐れです。
学級崩壊を起こす=ダメな先生
という見方が職場内に強くあるため、とにかく「自分のクラスは守らなきゃ!」と保守的になってしまう先生が多かったです。
中には、陰で「あのクラスは・・・」と他の先生の悪い噂話をして安心感を得ようとする人もいました。
つまり、自分に「ダメ先生」のレッテルを貼られることを恐れるあまり、自己防衛に走り、「助け合う」「支え合う」といった共助の精神が育まれにくくなっていました。
古い教育観や教育体制
ここからは子どもに直接関わってくる部分についての話です。
初任からの何年間は、ボクも「先生という仕事はこういうものなんだ」という感覚で、何も疑わずに仕事をしていました。
しかし、時間が経つに従って、だんだんと違和感が膨らんでいきました。
ボクは、その違和感を解消するかのごとく、教育、心理、哲学、脳科学、海外の教育といろいろなジャンルの本を読み、独学で勉強していきました。
そして、学べば学ぶほど、日本の教育システムは古いということがわかってきました。
学校教育の歴史からみる 学校教育が問題だらけになってしまった理由
極端に言えば、未だに明治に目指した「富国強兵の時代」にマッチする人材を育成している矯正機関であるというのが現実です。
ここでいう富国強兵の時代に求められたものとは以下の2点のこと
- 「トップからの命令に従順であること」
- 「時間内に、言われたとこと言われた通り正確に再現できること」
いくつかボクが感じた問題点を具体的に解説します。
クラスの人数が多い
まずはクラスの人数が多いということ。
1クラスの人数の上限を40人に定めているというのは教育後進国である明らかな証拠です。
現在は「35人学級を実現させよう」と国も動いていますが、35人でも少人数学級と呼ぶには程遠いです・・・。
実際、ボクの12年間の経験でも、1クラス30人を切ったことがありませんでした。
そんな状態で、一人ひとりに寄り添った教育ができるはずありません。
「1人でそれだけの人数を担当し、国が定めたカリキュラムをこなさないといけない」となると、管理主義や全体主義に陥ったり、学級崩壊の一途をたどったりするのは仕方のないことなのです。
もちろん、子どもの数だけ家庭があるわけで、子どもだけではなく、保護者との連携も欠かせません。
これだけの人数に1人で対応していくことは、価値観が多様化している現代においてとても無理な話なのです。
分断のシステム
先ほどクラスの人数の話をしましたが、そもそも人数以前に学年学級というシステムそのものにも問題があると感じています。
詳しく説明すると、学年、学級というものは、大人の都合でつくられた分断システムなのです。
自動車の生産ラインをイメージしてください。
「ここではタイヤを取り付け、ここではドアを取り付ける」など作業工程があらかじめ決まっていますよね。
学校も同じです。
「1年生では、○○の知識を注入し、2年生では○○の知識を注入する」といった具合に作業工程が決められています。
つまり、学年とは国が求める人材育成のための人間生産ラインだったのです。
その生産ラインは基本的に一本しかなく、そこから逸脱することは許されません。
さらに、そのラインの速度は一定であり、一人ひとりに適正であるかどうかなどお構いなしで進んでいきます。
といったことが生まれるのは当然のことです。
教育哲学者の苫野一徳さんはこのような仕組みを
「みんなで同じことを、同じペースで、同年齢から成る学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを一斉に勉強させるシステム」
と揶揄しています。
このように、自分の思い通りに進めない環境は誰にとってもストレスフルな環境なのです。
さらには、分断されたシステム上、1年間は同じ集団(同じ人間関係)内で過ごすしかなく、人間関係に悩む子どもたちは後を断ちません。
狭い鳥籠に同質性の高い集団をぶち込んでおいて、「いじめをなくしましょう」「不登校をなくしましょう」なんて矛盾した話なのです。
評価システム
そして、その生産ラインのところどころに待ち構えているのがテストや評価です。
生産ラインで例えれば、テストや評価は製品チェックのようなものですね。
といった具合で評価され、基準に達していないとC(ダメ)というレッテルが貼られ、生産ラインからはじかれていきます。
競争原理の導入
このような、大人が設けた評価という枠の中で、ただ学力や身体能力が高いということがあたかも「人間的に優れている」という偏った価値観を植え付けられ、競争原理の中に子どもたちは投げ込まれていきます。
同質のテストを受けさせられたり、大人が勝手に定めた評価基準のもと成績を出されたりすることで「何点だった?」「Aの数が何個あった?」など他者との比較や競争が始まります。
成績の良かった子は、間違った優越感を覚え、成績の悪かった子は「自分は価値がない人間なんだ」と劣等感を感じてしまいます。
また、競争で言えば、みんな仲良くしてといいながら、運動会では全員強制で競争させるのも矛盾した話ですよね。
いつまでも、強制的に競わせているからこそ、自分の原動力となる内的な競争心が育たないということになるのだと思います。
まとめ
先生の仕事のデメリットについて書かせていただきましたがいかがだったでしょうか。
まとめると↓
先生という仕事のデメリットは
- 多忙な労働環境であること
- 成長を阻害する制度や職場環境があること
- 明治から続く古い教育観や教育体制があること
でした。
なんだが気分が滅入ってしまったかもしれませんが、デメリットをしっかりと知ることはとても大切なことです。
そのデメリットを知ることで自分の思考を深められたり、解決するためのアイデアを生み出してくれたりします。
ボクも、本当の意味で「子どもが自分らしく」生き生きと成長できる空間をつくれるように頑張っていきます。
ただ、もちろん先生にはデメリットばかりではありません。素晴らしいメリットもあるので気が滅入ってしまった方はぜひこちらも合わせてお読みください↓
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こんな人におすすめ
- 子どもとの関係づくりに悩んでいる
- 子どもの主体性を引き出せる力を身に付けたい
- 先生という仕事や子育てが辛い
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