どもうガクせんです。
突然ですが質問です。
この問いに対して明確に答えをもてている人は少ないのではないでしょうか。
そういうボクも、12年間の教員経験の中で、「いい先生ってどんな先生?」という問いを抱えながら右往左往してきました・・・。
そんな時に出会ったのがアドラー学派であり、オーストリアの精神科医のルドルフ・ドライカースの著書「やる気を引き出す教師の技量」です。
当時、大きな壁にぶち当たっていたボクは、この本に出会い自分の教員としての生き方を大きく変えることができました。
1991年初版の少し古い本ですが、教育の転換期に差しかかっている今だからこそ読む価値がある本だと思います。
この本に出会いボクは「いい先生とはどんな先生か」という問いの答えを見つけました。
その答えは「いい先生は民主的リーダーである」ということです。
- 民主的リーダーとは何かがわかる。
- 民主的リーダーになる方法がわかる。
- 子どもから信頼される先生になれる。
ではまいりましょう!
目次
本当にいい先生とはどんな先生か?
まず、民主的グループリーダーを理解する前に、独裁的教師と自由放任的教師の二つのタイプについて知る必要があります。
それぞれの特徴について見ていきましょう。
独裁的教師の特徴
言われるままに行動するような子どもにしたり、行動しない時はひどく叱りつけたり、学ぶことを強いたり、好ましくない言動は何でも罰したり、創造的な表現の自由は何であっても承認しないことに専念している教師は、独裁的なボスです。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
過去を思い返すと、ボクも「ドキッ」とさせられます。
ボクも教員生活の前半はまさにこのような「独裁者としての教師」としてクラスに君臨していたように思います。
過去記事でもお話ししましたが、教員になりたてのボクは「子どもを管理し、うまく操れる先生がいい先生」だと勘違いしていました。
なので、当時のボクが学ぶスキルといえば
などのものばかり求めていたように思います。
初めは、若さも武器となり、子どもたちはついてきてくれ、自分でもうまく学級経営できているような錯覚を覚えていました。
それ故、さらに調子にのったボクは、若さと、力で子どもたちをグイグイ引っ張ろうというスタンスが強化されていってしまいました。
そんな調子で望んだ、教員生活7年目。
前の学年で学級崩壊を起こしていた、いわく付きの6年生を担任しました。
ボクはいつもの調子でクラスのボスとして君臨しました。
しかし、学級経営も中盤に差し掛かった頃、子どもたちの反応が気になるようになりました。
子どもたちは、だんだんとボクの指示を聞かなくなり、敵を見るような目でボクを見るようになりました。
ボクはさらに高圧的な態度で叱責し、「俺のいうことを聞け!」と言わんばかりに必死に力で押さえつけにかかりました。
しかし、力で抑圧しようとすればするほど、子どもとの距離は開いていくばかり・・・。
この時、ボクは、「自分がやってきたことは間違いだった」と感じるようになりました。
もし、あなたがクラスの子どもたちを軽蔑して、あなたの思いどおりに行動するように命令し、それで「なんと私は良い教師か」と思っていれば、あなたは遅かれ早かれ挫折するでしょう。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
それからというもの、ボクは色々な書籍で答えを求め始めるようになりました。
ボクの人生のバイブルともなっている、アドラー心理学とも出会いました。
この経験や学びを通してボクは、「このままじゃだめだ!もっと子どもに好かれる先生にならなくては」と思うようになりました。
「子どもを管理し、うまく操れる先生がいい先生」
↓
「子どもに好かれる先生こそいい先生」
と言う第一回目の価値の変換がここで起こります。
自由放任教師の特徴
このように、独裁者としての反省を基に、自分の価値観を変えたボクは、もう一つの罠にかかることになります。
もしかしたらあなたは、かつて独裁的であった反動のあまり、今や一つの極端からもう一方の極端に向かっていませんか?
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
そう、ボクがはまってしまった罠は「自由放任主義の教師」です。
ボクは、アドラー心理学に出会い、性善説や目的思考、承認、課題の分離など様々な大切なことを学ぶことができました。
しかし、本当の意味でアドラーの思想を理解できていないにもかかわらず、ボクは似非アドラー の考えをもとにクラスを運営するようになります。
そこでやったボクの失敗は
- 勉強に対して意欲をもてない子に対しても、用意ができればいつかはやる気になるはずだからまっていよう。
- 問題行動をする子に対しても、敬意をもち、叱るのをやめよう。
- 子どもがやりたがることは何でもやらせてあげよう。
など、見せかけの「愛や自由」という名のもとにボクは自由放任主義の教師に成り下がっていました。
初めは、独裁者がいなくなったことで、子どもたちはイキイキするようになりました。
先生は本当は優しいと思ってくれるようにもなりました。
しかし、時間と共に、段々とクラスが荒れはじめたのです。
喧嘩が頻発し、いじめもおこりました。
学習への意欲も皆無になり、授業中のおしゃべりが絶えなくなりました。
力で抑えてもダメ、自由を与えてもダメ、ボクはどうしていいのか分からなくなり、精神を完全に病みました。
夜の寝つきも悪くなり・・・。
寝れたとしても、毎晩のように着替えなくてはいけないほどの寝汗をかいて夜中に起きるという日々・・・。
謎の微熱がずっと続くようにもなりました・・・。
そんな暗闇を歩き続けていたときに出会ったのが、ルドルフ・ドライカースの「やる気を引き出す教師の技量」でした。
「私は、権威主義者にならないと決めた。教育の専門家の助言を読んでいる進歩的な教師なのだ。しかし、本当はクラスを教える責任を放棄していたのではないか?
〜略〜
子どもたちは、いつも私の友達になろうとした。が、今では、私ばかりか、学校、地域、そして自分自身すらも尊敬していない。子どもたちはやる気をなくしているので好ましくない言動をしている。そして、私もやる気をなくしている。私はどのような間違いをしたのだろう。私は混乱している。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
民主的グループリーダー
そしてボクがこの本で見つけた、いい先生の答えは「民主的グループリーダー」でした。
民主的グループリーダーについて本書では以下のように紹介されています。
リーダーは親切ですが毅然としていて、生徒が学ばねばならないことを学ぶように動機づけ、生徒が間違いをしたときには勇気づけ、生徒各々を意思決定に参加させることによって秩序と日課を維持します。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
独裁的教師と民主的グループリーダーを比べてみると、よりよく民主的グループリーダーを理解できます。
独裁的教師 | 民主的グループリーダー |
ボス | リーダー |
声がするどい | 声に親しみがある |
命令・考えを押し付ける | 勧誘・考えを売り込む |
支配 | 案内・指導 |
批判 | 勇気づけ |
間違いさがし | 達成を認める |
罰する | 援助する |
私が決めて、子どもに告げる | みんなで討議する |
ボスの単独の責任 | チームに責任を分ける |
この二つの特徴的な違いは、独裁的教師が外側からの圧力を示し、民主的グループリーダーは内側からの刺激を示しています。
民主的なリーダーは、責任を与えることで、責任を教えます。そして、学問を精神的に健康に学ぶ雰囲気を提供し、すべてのクラスの生徒に情緒的な成長、社会的な成長を提供します。もちろん、教師自身も含めて。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
民主的グループリーダーになる4つのポイント
では、民主的リーダーになるためには具体的にどのようなことを心がけていけばいいのでしょうか。
ポイントは以下の5つ↓
- 競争をやめる
- 勇気づける
- 罰より自然な結末、論理的結末を体験させる
- クラス討議の時間を設ける
では、それぞれ解説していきます。
①競争をやめる
競争は、あらゆる人を潜在的な敵にする。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
多くの親や先生は、競争社会であるビジネスの世界に子どもを入れる準備をするために、競争的な環境の中で子どもを訓練することは必要だと信じています。
しかし、競争的な教室では、「優越」を感じることを学んでいる少数の子どもたちがグループを構成し、「劣等」を感じている多数グループを見下しています。
このような環境下では、子どもたちは「他者を尊重すること」や「他者に貢献する喜び」を学ぶことができません。
また、競争は学習を動機づける上で、逆に学習者を落胆させるやり方なのです。
落胆した子どもは諦め、進歩する代わりに後退します。
競争原理を取り入れたクラスの子どもは、全てにおいて、「他者(敵)に勝つ」ことが目的になり、本来の目的である「自分の能力の向上」や「他者理解」「他者との協働」について一切学べなくなります。
競争よりも「他者理解」「他者との協働」をクラスに取り入れよう
他者理解には好きなものマップがオススメ↓
②勇気づける
植物が太陽と水を必要としているように、子どもは勇気づけを必要としている。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
勇気づけとは、「そのままで十分良い」ということを子どもに伝えること。
多くの親や先生は「そのままで十分」と伝えてしまうと子どもは怠けてしまうのではないかと恐れています。
しかし、人間は生まれながらに成長を求め続ける生き物であることを忘れてはいけません。
勇気づけられ今の自分に自信がもてた子は、自然と次のステップへと歩みを始めるのです。
注意が必要なのは、賞賛は勇気づけは似ているようで本質的に異なるということです。
賞賛 ≠ 勇気づけ
比較してみるとその違いがわかります。
賞賛 | 勇気づけ |
評価(よくできました) | 感謝(ありがとう) |
大人の目線 | 子どもの目線 |
操作(大人が目的地を決める) | 背中をおす(目的地は子どもが決める) |
報酬 | 承認 |
賞賛は一種の報酬です。
報酬(外的要因)によって育てられた子は、賞賛(報酬)を得ることに目的をもつようになります。
つまり、賞賛がなければ行動を起こさない人間になっていくのです。
例えば、教室でゴミが落ちていた場合、先生が見ていれば拾うけど、見ていなければ拾わない、といった子がそれです。
ドライカースの言葉を借りるならば、「賞賛されることを目的としている人は、他の誰かがボタンを押して上下する幸せというエレベーターの中で暮らすようになる」ということです。
どんどん、他者への関心は薄れ、自己への関心ばかりに目を向けるようになるのです。
では、どのような姿勢で子どもに接すれば、勇気づけができるようになるのでしょうか。
子どもを信頼して、子どもの中に良いものを見つけられる人だけが勇気づけできます。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
子どもを信頼し、良いところを見つけ「そのままで十分良い」と勇気づけよう
子どもを信頼する力を育てるにはこの記事がオススメ↓
③罰より自然な結末、論理的な結末を使う
罰は報酬と同じように外的要因であることはいうまでもありませんね。
報酬と罰は、特に今日の民主的な雰囲気の中では、子どもの発達に有害な影響を与えています。独裁的な社会においてのみ、それらは服従を得るために効果的で必要な方法なのです。
〜略〜
民主的な雰囲気の中では、子どもへの親や教師の「コントロール」は減少しなければなりません。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
つまり、現代の民主主義の世界では、罰は全くもって効果を発揮しないばかりか有害な影響を与えるとこうことです。
罰は復讐を招くだけであり、決して民主的な精神を育てられません。
そこで必要になるのが、「自然な結末」や「論理的結末」です。
- 「自然な結末」・・・教育者が関与することなく自然の流れに基づいて、子どもが自分の行動の結果を体験するというもの。
- 「論理的結末」・・・子どもが何らかの行動をする前に、教育者と子どもが話し合いをし、お互い合意したらその結末は子どもに責任をとってもらうというもの。
イメージし辛いので、具体例を見てみましょう。
「自然な結末」
寒い日に、自分の判断で薄着をしていった結果、風邪を引いた。
→気温を考えて、服装を選んだ方が良いという学びを得た。
「論理的結末」
「提出物の期限は一週間以内、提出できなかった場合、評価はCになる」という条件を先生と子どもとの間で合意した。
→提出できずに評価がCになった。期限内に提出するためには計画的に取り組まなければいけないという学びを得た。
というような感じです。
「論理的結末」は、子どもが心から合意していなければ、ただの罰になってしまう可能性があるので注意!
罰の代わりにこのような結末を使うことで、教師は大人の権威を手放し、現実から与えられる恵(学び)を子どもに提供することができるのです。
罰ではなく、「自然な結末」「論理的結末」を使おう
④クラス討議の時間を設ける
責任それ自体を受け入れる機会を生徒に与えることによってのみ、責任を教えることができる
〜略〜
教師が権威を使う代わりに生徒の協働を用いるのであれば、みんなに多くの利益があるでしょう。
引用:ルドルフ・ドライカース「やる気を引き出す教師の技量」
民主的なクラスをつくっていくにあたってこの「クラス討議」という時間はキーになります。
一般的な社会と同じように、クラスや家庭の中では、日々問題が生まれます。
問題というとなんだかマイナスなイメージがありますが、問題こそ、成長のチャンスです。
その問題を、先生や親が権威の名のもとに解決していってしまうのは、子どもの成長のチャンスを先生が摘んでいってしまうようなものです。
確かに、子どもたちに任せるのは「リスクが高い」と思ったり、「時間がかかる」と思うのも当然でしょう。
しかし、教育の目的は、「問題を効率的に解消すること」ではなく「子どもの健全な成長」です。
だからこそ、問題が目の前にあるのなら、子どもが協働して解決の過程を味わうべきと言えます。
主体的に問題と関わることで、解決方法や責任、協働を子どもたちは学びます。
ここで大切なのは、先生も含めみんな平等であるということです。
そのような時間を先生が提供することこそ、民主的なリーダーとして大切なスキルになります。
詳しく知りたい方はこちらから↓
教師の権威を捨て、「討議の時間」を設けよう。
まとめ
「いい先生とはどんな先生か」について解説してきましたがいかがだったでしょうか。
まとめると
いい先生は、独裁的でも自由放任でもなく、民主的グループリーダーである。
民主的グループリーダーの条件は
- 競争原理を排除する
- 賞賛ではなく、勇気づけることができる
- 罰よりも「自然な結末」「論理的な結末」を使う
- クラス討議の時間を設ける
である。
ということでした。
過去のボクのように、悩み苦しんでいる先生にこの記事が少しでもお役に立てていたら嬉しいです。
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