どうもガクせんです。
コロナの影響で、今まさに教育そのもののあり方が問い直されています。
とは言うものの
そもそも今の教育はどのような歴史を経て現代に至ったのでしょうか?
この問いを明確にしていかなければ、これからの教育を考えていくことなどできません。
そこで、今回は
- 教育の歴史をふり返る
- これからの教育のあり方を考える
という流れで解説していきます。
今回の参考文献は前回の記事に引き続き、ピーター・グレイ著「遊びが学びに欠かせないわけ」です。
- どのような歴史をたどって今の教育が生まれてきたのかがわかる
- これからの教育のあり方について考えるきっかけになる
それではまいりましょう!
目次
教育の歴史をふり返る
世のほとんどの人が教育を受けるという経験をしていながらも、教育そのものの歴史(変遷)を知っている方は少ないのではないでしょうか。
まずは狩猟採集の時代にタイムスリップして見ていきましょう。
狩猟採集時代の教育とは
私たち人類の99%は狩猟採集をしていたと言われるほど、人類にとってこの時代は長い時間を有した時代と言えます。
私たちのDNA(もって生まれた才能)は、この時代のライフスタイルに合うように適応しています。
では、狩猟採集時代の教育はどのようなものであったのでしょうか。
それは狩猟採集の時代に求められた能力を考えるとわかります。
本書では
などの能力がこの時代に求められた代表的な能力であると紹介されています。
この能力を身に付けるために欠かせなかったのが「遊び」です。
当時、教育と呼ばれる形式は存在しませんでしたが、この「遊び」を通じて子どもは上記の力を身につけていっていたのです。
子どもたちは、大人のすることを近くで観察して真似をしたり、いろいろな年齢層の仲間たちと関わったりしながら身体能力や創造性、社会性などを育てていきました。
先ほどもお話したように、現代を生きる私たちのDNAにもしっかりとこの頃の学習形式(遊びを通じて学ぶ力)が刻み込まれているのです。
狩猟採集から農耕の社会へ
そんな狩猟採集をしていた人間でしたが、ついに、安定して食糧を確保する方法を見つけ出しました。
それこそが農業です。
この農業が定着したことが、私たちの生き方を大きく変えていくことになります。
そして、その変化は、子どもたちの育て方に関する考え方(教育)も大きく変えることになります。
まずは、社会構造の変化に関して説明すると、農業が誕生したことで、社会構造が次のように変わりました。
このような生活の変化により、骨折り仕事、子どもの労働、私有財産、強欲、地位、競争という価値観が拡大していくことになります。
また、女の子たちは、きめ細やかな指導を受け、子育てと家の周りの仕事を助けるようになり、男の子は牧畜の手伝いをするようになりました。
このように、狩猟採集時代に大切にされていた「遊び」という学び方から、「指導」という教育方法に学習の形も変わっていくことになるのです。
さらに言えば、今まで大切にされていた「遊び」は労働の時間を奪う恥ずべき行為だとしてその価値は失われていきます。
封建社会と産業化の時代へ
時代はとんで、紀元9世紀ないし10世紀ごろ
「封建主義」がヨーロッパとアジアの多くで中心的な社会構造になっていきます。
封建主義とは、封土(収穫をうむような領土で、褒美や収入として臣下・家来に与えるもの)を与えたり受け取ったりすることによって成立する主人と臣下(家来)の関係。また、そうした関係が社会の基本なのだ、とする考え方・主張のこと
引用:Wikipedia
つまり、社会に階層構造が生まれ、次第に所有する者と、服従する者との二極化が進んでいくのです。
この社会構造の変化に従って、この頃の教育は、権力に従うこと、つまり「服従訓練」と同義になっていきます。
その後、「資本主義」と結合した産業化の時代へと移り変わっていきます。
多くの工場労働者を必要としたこの時代も、土地所有者と同じように、事業主にとって従順で長時間働ける労働者(人材)を必要としました。
「事業主に言われたことを、時間内に正確に作業ができる」そんな人材を育成していくことが教育に求められていました。
宗教による教育
社会が階層的になるにつれて、宗教組織も階層的なものになりました。
人々に崇拝と服従を強く求めるようになったのです。
ヨーロッパで中世を通して権勢をふるっていたのは、キリスト教の一つの形態であるローマカトリック教でしたが、後に資本家が台頭してくると、プロテスタントの教派が生まれます。
プロテスタントは「普通教育」を促進しました。
その目的は「子どもを良い清教徒にする」ことでした。
つまり、人間の所有者への服従を、将来への投資への服従へと転換させたのです。
当時のプロテスタントの学校での主な指導法は「丸暗記」でした。
学ぶことは、遊びではなく、仕事と理解されました。
遊びは学びの敵でした。
歴史のこの時点ではすでに、子ども自身の好みの大切さという考え方はほとんど忘れ去られてしまっていました。畑や工場で子どもたちを作業に従事させるのに長年使われてきた暴力が、子どもたちを学ばせる教室でもそのまま使われました。
引用:ピーター・グレイ著「遊びが学びに欠かせないわけ」
このように、子どもの本能である「遊びたい」(育ちたい)という気持ちは様々な暴力や細かなルールによって押さえつけられていきました。
現代に馴染みのある学校制度が生まれたのは、17世記ドイツのプロイセンでした。
当時の学校では、子どもたちを常に監視し、指導することで子どもを矯正することを目的としていました。
つまり、ここでの教育の目標は、知的好奇心ではなく、「洗脳」することにあります。
当時プロイセンで学校づくりのリーダー的な立場を担っていた、アウグスト・ヘルマン・フランケは「学校の主たる目的は子どもたちの意志をくじき、改心させることだ」と明言しています。
国家の台頭と義務教育の広まり
19世紀初めまでに、ヨーロッパの教会は政治権力から押し出され、代わって国家が子どもたちの教育をする役割を引継ぎました。
政府や産業界のリーダーたちの教育への最大の関心時は、読み書きよりも、人々が何を学び、何を考え、どう行動するかをコントロールすることでした。
つまり、ここでの教育の目標は「すべての世代の国民を理想的な愛国者と労働者に育てあげること」にあったのです。
この後から、学校教育は国家の役割と見られ、軍隊と同じように、国の安全保障にとって欠かせないものと捉えられました。
その証拠にナポレオンは学校教育は軍隊での訓練の第一段階と捉えていたようです。
イギリスの義務教育支持者のジョン・ブラウン牧師は「よき市民をつくり出すためには、幼児に早くから「習慣」を押し付ける必要がある。たとえば、考えと行動を、すでに確立されている自分たちの国を形づくっている原則に服従させる状態をつくり出すなど、子どもの正常な精神状態を、あたかも有益な先入観で縛り付けておくように」と書き残しています。
このように、国家による教育の義務化はドイツのプロイセンの教育改革を皮切りにどんどん広まりを見せていきます。
教育の義務化を押し進める人たちの中には、子どもの幸福に心から関心があった改革主義者も含まれています。
日本では、1872年(明治5年)に日本でも義務教育がスタートします。
つまり、義務教育が生まれた目的は、産業と国家の利益にかなうようにするために子どもたちを教え導く手段だったのです。
画一化していく学校
いったん、国家が運営する義務教育が定着すると、それは、内容と方法の両面で、次第に画一化されます。効率性のために、子どもたちは年齢によってクラス分けをされ、工場の組み立てラインのように、学年から学年へと手渡されていきます。各教師の役割は、事前に計画されたスケジュールに従って、公式に認定された知識を製品である子どもたちに徐々に付け足していくことです。そして、次の生産工程に渡す前に製品の出来をテストします。
引用:ピーター・グレイ著「遊びが学びに欠かせないわけ」
このように学校は、工場で製品をつくるかのように子どもたちを教育していくようになりました。
ここには「子どもの成長を願う」という側面より、「より効率よく、大量の知識、技能を伝達する」という側面が強く現れています。
工場に似せて作られたこの学校というシステムの中で、子どもは本来もっている「遊びを通して自分を教育する」という本能を抑制され、強制的な勉強という苦役を強いられてきました。
ボクたちにとっても当たり前とされているこの教育システムは人類史という大きな枠組みで見れば、つい最近につくられたものです。
しかし、急速に変化し続ける現代において、この画一的な学校システムは限界をむかえつつあります。
実際に、学校現場は、不登校、いじめ、学級崩壊、校内暴力など様々な問題であふれてきています。
これはまさに、「このシステムはもう限界」という明らかなサインなのです。
これからの教育を考える
さあ、いよいよこれからの教育を考えていきます。
上記で見てきたように、教育というものは権力者や国家の思惑のもとトップダウンの形で構築されてきたことがわかりました。
しかし、インターネットの普及により、世界の人々がつながることのできる現代において「お国のため」という精神は衰退し、さらには、AIの登場により、権力者に雇われて働くという概念自体が崩壊しつつあります。
つまり、情報革命をむかえた現代において、今までの価値観は全くもって不要になってきているわけです。
このことは、現代を生きる私たちも肌感覚で気付いている人は多いのではないでしょうか。
では、そんな大きな転換期を迎えている私とちにとって、これからの教育をどう考えていけばいいのでしょうか?
今までの形の学校は必要なのでしょうか?
筆者は、「私たちが自然に学ぶ存在であることを忘れてはならない」「自然な学びを阻害する教育システムを捨て、私たちが自らを教育する力を取り戻せる環境をつくるべき」と言っています。
つまり、狩猟採集時代に大切にされていた「遊び」をもう一度取り戻そうというわけです。
このような考えは、これから先どんどん広まりを見せていき、社会の常識になっていくとボクは考えます。
実際に、新しい教育形態は世界中に広がりを見せています。
モンテッソーリ教育
シュタイナー教育
イエナプラン教育
ドルトンプラン教育
サドベリー教育
フレネ教育
などなど、このような教育は「子どもの自己教育力」をとても大切にしている教育です。
また、ホーム・スクーリングやアン・スクーリングなど学校に通わないという選択肢もあります。
みんなが集えるコミュニティーセンターなど、学校とは違う形態の学び場も考えられます。
このように、たくさんの教育の選択肢が必ず世に広まる日がくるのは間違いないと言えますね。
「自分にあった学校を選択するのは当たり前」になる日がくるでしょう。
そして、いつの日か、誰もが自分らしくイキイキと生活できる世の中になるのではないでしょうか。
まとめ
教育の歴史、これからの教育について解説してきましたがいかがだったでしょうか。
まとめると
- 今の教育は、権力者や国家への「服従」と「洗脳」を目的としてつくられてきた。
- 情報革命が起きた現代こそ教育の転換期である
- これからは「自己教育力」を大切にした教育の場が必要
ということでした。
正直、ボク自身12年間も教員という仕事をしていながら、教育の歴史について深く考えたことがありませんでした。
本書「遊びが学びに欠かせないわけ」に出会ったことで、ボク自身が教員時代に抱えていた違和感や苦しさの原因がはっきりしたような気がします。
今の教育をどう感じているかは人それぞれだと思いますが、歴史を知り、どのようにして今の教育が生まれてきているのかを理解しておくことはとても大切だと思います。
あなたの力が未来の教育をつくっていきます。
子どもたちが幸せに成長していける最適解を見つけていきましょう。